リハビリ

よく治ると巷間言われる店へと足を運んだ。

その名も俺のリハビリ。フレンチ、イタリアンなどの俺のシリーズはとうとう医療にまで発展した。外装の胡散臭さは駐車場に並んだ白いスーパーカーが主張していた。店内には整骨院に置かれるべくして置かれたような簡易的なカウンターとベットが存在していた。よくあるミント色のスリッパに履き替え、嫌でも呼吸するために独特の湿布臭を嗅ぎ続けていた。店長の斎藤という男は常連の施術を終えるとたちまち自分をベットに招いた。その際、インビテーションカードを渡してきたので、困惑していたら段取りだからと言われ仕方なしに受け取った。女を口説くべくして生まれたような簡易的な名前と電話番号が記されたカードをポケットに入れて横になった。

容態は比較的良好になりつつあるという診察結果に安心したところでニュース速報が携帯電話から届いた。

EXILEAKIRA、ドラマ主演5年ぶりー

人は別れが惜しいものである。終わりが近づくと……

ちょっとその先が思いつかないや。

桜が散った後に思うことはなんだ。綺麗だった?儚い?いや違う。早く咲いてほしい、だ。

要はそういうことだ。要はそういうことはメタファー慣れしていないとこういうことになる。リハビリに失敗は付き物だ。犬がくくりつけられるべくして建てられたような店外の柱にくくりつけた犬が飼い主を待ちくたびれたような座り方をしている。それはまるでAKIRAファンのように。

力なく銀行を後にしたマントヒヒはどうやらカジノ公営に賛成のようだが、対する政府は動物園を廃止するようだ。つまるところ、つまっていてもうギッチギチである。複雑に絡み合い、歯がゆさは毛穴から皮膚にまで浸透して、例えるならマントヒヒがカジノで大当たりしたところで交換できる紙幣はシンガポールドルのみということだ。分かりやすさと同義語とは思えない簡潔明瞭さにゲイリーオールドマンとフィル・ミケルソンは舌を巻くだろう。比喩ではなく。

視界が狭いのは、可視化できない背景が寄ってたかってあるからで、無論、俺のリハビリは昔ガンバ大阪で活躍していたマグノアウベスが如くゴールを量産している。薄く切ったかぶを左右から噛んだ時に福井県は誕生した。メガネはここから大量生産されると思うと、昔浦和レッズで活躍していたワシントンも得点王争いで負けてられない。

ところでどうやら、リハビリというのは良化へのリターンの代わりに悪化へのリスクを孕んでいるようで、こういう文章の時、後者が該当するのは言わずもがなと、どこかからの声が聞こえるが、それは聞こえるだけで響いてはいない。