春の空気に虹をかけ

雨が降っていたはずの千鳥ヶ淵は2時間後に止んでいたのは奇跡と呼ばずして何と呼ぼうか。

アルペジオ』の台詞を並べ立てた瞬間、背後からは笑い声が聞こえた。その笑いに、どうやら自分だけではないという安心感とこれから絶対面白くなるという確信を抱いた120分間の始まりだった。暗闇が続く武道館に差した光の先に現れた人物は間違いなくあの小沢健二だった。目の悪い自分には表情を認識することはできないが、輪郭を捉えることくらいはできる。vo満島ひかり!と紹介された隣の女性はどうやらあの満島ひかりらしい。顔が小さ過ぎて判断できない人は大勢いたと思う。『シナモン(都市と家庭)』で最近の小沢健二を紹介したと思えば、『ラブリー』のフレーズを口ずさみ始める。会場の温度が急に上昇したのを肌で感じた。動いていないのに汗をかいてしまっていたから、体内からくるものもあったと思うが。初めて、オザケンを映像で観たときと初めて、オザケンのLIVEを観た感想は全く同じだった。それがとても嬉しかった。分厚く濃度の高いリアルな幸福感と何より歌詞を大切にする歌手。

印象的だったのはLIVEでありがちな「ありがとう」という言葉を多用しなかったこと。彼が慈悲深い人間というのは周知の事実で、その時間があるなら歌を届けたいというメッセージだと受け取った。その証拠に怒涛のヒット曲メドレーがこの後続く。個人的に好きな『戦場のボーイズライフ』を歌ってくれた時に思わず声が出た。あ、やっぱりこの人のファンだったんだと改めて気付かされる。同世代に小沢健二を好きな人は居ないどころか知ってる人も数少ない。昔の人という認識で、世の中は日々新しい方へ進む。懐古主義があるわけではなく、今で言う星野源のようなポップスターが20年以上前に存在したとなるとチェックしないと気が済まない。ただそういう性分なだけだ。復活した時は声が出てない、劣化などと言われ、同意見を自分も抱いた。もともと歌唱力があるタイプの歌手ではないので、まぁ見るべきは違うところだからというくらいで今回、南東のL列40番に座った。しかし、それは見事に覆される。『戦場のボーイズライフ』をカラオケで歌った人はわかるかもしれないが、ラッキースターーーーーーーーーーーーーーーーーーが異様にキツい。いつだってSOULは!の気持ちいいとこの前ではもうスタミナが残っていない。実は、そのラッキースターーーーーーーーーーーーーーーをオザケンはしなかった。ラの字も発さず、満島ひかりバトンパスした。ちなみに満島ひかりは、乾くはずさーーーーーーーーーーーーをキメていた。正直、ガッカリした。あぁやっぱり本家でもキツいのか。メドレー形式で『愛し愛されて生きるのさ』、『東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー』に移行した。脱力感を感じていると聞いたことあるリズムが蘇ってくる。あれ、これさっき聞いたな。既視感ならぬ既聴感を感じると、それは先程の『愛し愛されて生きるのさ』だった。となると、期待してしまうのが必然で、その期待に簡単に応えるのがスターだ。一度ガッカリさせておいて実は、のパターン。この世でもっともアガるやつだ。僕を抱いたーーーーーーーーーーーーーーの方だった。ハイトーンは健在だった。ピンピンしていた。そこから、我が先輩筒美京平との合作で知られる『強い気持ち・強い愛』。一番武道館が熱くなったのはこの辺りだと思う。なぜ、そんなに曖昧かというと実は『いちょう並木のセレナーデ』くらいからずっとふわふわしていたのだ。サッカー選手がアドレナリンが出まくって、スーパーゴールのことをあまり覚えてないやつ、といったら大袈裟だがこの上ない浮遊感に包まれていた。表情はとんでもなく気持ち悪い笑顔だったのだろう。でも、それを否定しない世界が極上の幸福なのだと今だから判る。『ある光』から『流動体について』で第一幕が終わる。LET'S GET ON THE BOARD。

ここで我に帰り、待ってたアンコールは、『流星ビバップ』。帰宅直後すぐに世界に飛び込んだ。感覚で言えばまるで水中の様だった。実をいうと自分はこの曲で初めて立ち上がった。周りが、特に前方が立たなかったので今まで立つことは無かった。遮るものがない限り、着席していたい山下達郎LIVEスタイルが染みついているせいだ。しかし、この『流星ビバップ』で立ったのは遮るものが生まれたからではない。自然と立ってしまったのだ。それも前方の方と同時に。通じ合った心を確信に替えたのは春にして君を想うで同時に着席したからだ。後ろからみると、双子にみえただろう。年齢も性別も大きく異なるが。

今回、このLIVEに来たいと思った大きな理由があった。【ドアをノックするのは誰だ?AT BUDOKAN】この映像を中学生の時に初めてみてからというものこの日まで、この空間を共有するのが僅かな夢のひとつだったからだ。叶った。アンコール3曲目で叶った。叶うと喜ぶのは夢ではない。茫然としてしまうのが夢なのだと思う。それだけ深い海底に居たのだと正常に呼吸をしている今ならいえる。

36人編成ファンク交響楽。そう謳い、このツアーは始まった。36名全員を満島ひかりが紹介する。この人たちを忘れたくない。学生時代のクラスメイトを忘れたとしても。と思い、オッオーオーで途中から名前はあまり聞こえなかった。あとで調べりゃいい。最初、『アルペジオ』で始まったこのLIVEは最後、『アルペジオ』で終わった。日比谷公園の噴水が春の空気に虹をかけ。日比谷公園は実はよく行く身近な場所だ。下北沢珉亭ご飯が炊かれ、麺が茹でられる永遠。珉亭、この前行ったばっかだ。不思議と自分と繋がるストーリー。いや、そんなことない。自意識過剰が過剰していた。駒場図書館行ったことないし。小沢健二は最後にこちらに問いかけた。今日、初めて来た人いますか?挙げたところで当てられるわけでもないのに、挙げられなかった。また、自分に繋がった!と思ったからである。いや、そんなことはない。自意識過剰が超過していた。めっちゃ挙げてる人いて少し悲鳴聞こえたし。またお越しくださいと言われた。いや行くっしょ。聴きたい曲まだまだあるし。ほら、『さよならなんて云えないよ』とか『痛快ウキウキ通り』、『夢が夢なら』、『天使たちのシーン』etc…

今回のLIVEで話題になったのは満島ひかりだろう。そりゃ言及しなきゃおかしいくらい彼女は目立っていた。多分だけど、台本は殆ど無かったんじゃないかと思わせられた。それくらい自由度が高く、表現力が尋常では無かった。蛍光のボクシングのリング作っちゃうし、カッコよくギター弾いちゃうし。特に『フクロウの声が聞こえる』ではスティックで照明を総演出していた。(何も叩かないと暗闇だが、叩くと様々な光が生まれる。)もともと悪かった目を更に悪くさせられた気がするが、満更でもない。終盤にかけて最高潮を迎えるこの歌を理解している演出だった。開場が素の明るさになるやつを満島さんは特に気に入っていたようにみえた。共感は不要。

だからこそ表情も見てみたかった。もしも、LIVE DVDが発売されるのなら。

声質的に厳しい歌もあったのは感じたが、それでも最後まで歌い切った。最後の『アルペジオ』でその日イチの太い声(オザケンも含めて)を出したのは鳥肌が立った。小沢健二のLIVEというより2人のLIVEになっていた。それは皆、同意見だと思う。36人のLIVEだよという揚げ足取りは無視しといて。ゲスト満島ひかりという認識が特にLIVEに行っていない人は感じられるかもしれないが、実際に行った自分が声を大にして言いたい。間違いなく彼女はゲストではなくホストだった。違う、女性だからホステスだ。それだけの観客に対する熱量を持っていた。ホントに凄いわこの人は。あっぱれという言葉が一番似合う。大好きな俳優のひとり。

どうやら翌日、本人を前にしてオザケン世代じゃないと言っちゃう一幕があったみたいだし。

最後に、小沢健二は観客に対し、日常に帰ろうとカウントダウンを取り公演を締めた。

2018年の春に、こんな非日常を目の当たりにしたということをひきずりながら家路につく大勢の観客の夜空には鮮やかな虹がかかっていた。