或る人「常然」

或る人がいた。名は常然といった。常然と書いて、ツゼンと読む。常然とは急に出逢った。

前日の天気予報通りに晴れから曇りに変わった昼下がり、とある喫茶店に立ち寄った。窓際の席に座り店内を見渡す。落ち着いた雰囲気の良い店じゃないか。連れていた部下に言うが、彼からの返答はなかった。店員が注文を聞いてくる。アイスコーヒーを一つとお前どうする。あ、おれいいっす。水で。じゃあアイスコーヒーだけで。かしこまりました。あ、すいません。やっぱアイコーもう一つ。では、アイスコーヒーをお二つですね。少々お待ちくださいませ。ため息は煙草に逃した。部下はこういうやつだ。名は荒唾といった。荒唾と書いて、アラシダと読む。彼とは長い付き合いだ。

特殊な苗字はイジらないといけない。それは義務だ。言われ慣れてるだろうが、仕方ない。初めて会った時にお前の苗字、仙台のロックフェスみたいな字面だなと半ばメンドくさそうに言った。が、向こうは理解してなかった。キョトン顔の申し子が如くキョトっていた。今まで言われてこなかった訳はない。誰しも思うだろう。

荒唾と荒吐。一緒じゃん。口から出るやつじゃん。一緒じゃんと。でも彼は皆んなと一緒じゃなかった。今まで言われたことは幾度もあるらしい。ただ、理解できず受け流してきたという。更に検索もしなかったと。嫌いだ。俺はこいつが嫌いだ。ファーストコミュニケーションでその答えに辿り着いてしまったのだ。

時は戻る。アイコーも最近覚えたのかなんなのか知らないが古いしダサい。身なりも顔も全てが四流サラリーマンだ。こんな奴を連れている自分が恥ずかしくなる。だが、大事な取引の後で一服せずにはいられなかった。それにしても今回の示談は上手くいった。綿密に打ち合わせをしたことが功を奏し、計画以上の利益を獲得することに成功した。その誇らしさにあぐらをかいてしまい、こんなポンコツと2人でお茶という地獄にハマってしまった。反省してる間にアイスコーヒーが到着した。早くこれを飲んでさっさと職場に戻ろう。そう決心し、2つあったストローをへし折り、グラスを手に持ったその瞬間。テーブルを挟んだ向かいに丁度座った男性と目があった。彼に何か異様な空気を感じた。そして、やはりこれが気紛れではなかったと気づくのはまだ先の話である。彼は俄かに顔を掲げ、フォッフォッフォッフォッフォッフォッーーー!!!!!と奇声をあげた。

先程感じた異様な空気を確信に変えたのはこの時だった。その間、約2秒だった。彼はすぐさま、ファスタムファスタムと小気味良いリズムを刻む。今、思うと狂気しかないが、これを書いてるのは実は喫茶店にいる数分前なので狂気しかない。ただ、こういってしまったからにはこれから数分で仕上げなければならない。俺はブロガーとしての執念で何か展開を探した。荒唾を蹴り飛ばそうと思ったがあいつはさっきトイレに行った。この状況でトイレって。タイミングがダサい。なら、もう1つしかない。

すいません。どうされましたか。ファスタムファスタムファッ?喫茶店の客と店員は好奇な目を其の男から自分に移した。ただ、俺には締め切りが迫っていた。残り2分。ウルトラマンとかカップラーメンだとかの喩えをしている暇はなかった。テレビのインタビューかの如く変人に声をかける。報酬はないが、矜持のために。

落ち着いた雰囲気の良いお店ですね?この状況で考えられないような発言だった。そして案の定、返答はなかった。荒唾と同じく。ならばとお名前なんておっしゃるんですか?と聞くとそれまで黙っていた彼が口を開くと「常然」と。

イジれない。珍しいのにイジれない。迫るカウントダウンに立ち尽くす。こんなはずじゃなかったのに。トイレから勢いよく出てきた荒唾が締切3秒前で喋り始める。

先輩何やっ