時間の無駄

せ、先輩……………………………………………あ、…あの……………お、……お話しが…あるのですが………………チ……チリの……チ……チリの……やだ私……間違えちゃった……先輩…………あ、……あの………チ……チリ専門………チリ専門料理店………チリ専門料理店のオーナーに………………なってくれませんか。

そ、それと……………この前…………貸した………西田…敏行……あれ……敏行で合ってましたっけ?……こわいので……ひらがなに…しますね……にしだびんこうの………伝説の…ジェットコースタームービー…………『ゲロッパ』……返して…くれませんか。

ああ……緊張した……………

返事は十分お考えになったのちに折り返し頂ければ宜しいので、この節は私の為にお時間を割いていただき、誠に有難うございました。貴方のことが好きなので付き合ってください。これからも暑い日が続きますが、ご自愛ください。

そして、先輩…………………チ、……チリの件………わ、わすれ…ない…で……くだ……さい…ね。あと…に、にしだ……………の件も。

ヒャッ。はずかしい。

伸るか反るか。

なんて文句を耳にするこの街を引いてみるようになったのは初めてのことだった。流線形のオブジェが象徴の駅前で若者たちが写真を撮る。一瞬の輝きは彼等の背後にいた悲しい顔をしたジプシーを映したことだろう。同情するのも戸惑うほどの姿にミロク情報サービスが顔を出す。負けじと信号待ちで脚を余していたハズキルーペの広告トラックが横切る。偶然にも同キャストとなった菊川怜に誰も触れようとしない。蹂躙されたこの世の中に真に幸せを見つけ出すものなど果たしているのだろうか。危機感はとっくのまっくにトラックよりも素早く通り過ぎて残された国民は菊川怜と言う名の繁栄に貢献するしかない。そして、この暗黒社会を後に歴史の教科書では僕等が加担したとまるで加害者のように扱うのだろう。勝者の歴史とはよく言ったもので、いつの時代もそれに抗うことは出来ないものだ。気づいてしまったことを忘れることは出来ない。伸るか反るかの本当の意味もきっとこの先知り得てしまうのだろう。

昼は弁当屋で弁当を食らう。夕方はガソリンスタンドでガソリンを食らう。夜はハンバーガー屋でハンバーガーを食らい、〆は質屋で質を食らう。受動人間と揶揄されてもなお、この暮らしを続けるのは愛する娘の為だ。右投げ左打ちの我が娘だ。亜麻色の長い髪を風が優しく撫でる自慢の娘だ。最近、娘はたくさんのコトバを覚えることに興味津々だ。中でも竜頭蛇尾がお気に入りらしく、近頃、竜頭蛇尾抱き枕とリカちゃん竜頭蛇尾verが家に届く。因みに抱き枕は嫁用だ。お金の管理は嫁に任していて、俺は給料制だからこの際言わせてもらいたいが、もう少し真面目じゃなくふざけたお金の使い方をしてもいいんじゃないかと思う。倹約家であることは勿論いい事で主婦の楽しみはスーパーにて少しでも安い食材を手に入れることは重々承知している。しかしその上でもっとママさんバレーの貸コート代、月8,000円とか払って欲しい。俺の金で何してんだと叱ってやりたい。なので、竜頭蛇尾シリーズはこれから禁止しようと思う。余りにもありきたりで王道過ぎて近所にバレるのも恥ずかしいから。躊躇した嫁も渋々認めた昨晩に嫁がしてた真珠のピアスと純金のネックレス最高だった。ミシガン州に引っ越してからというもの菊川怜とは無縁になった。嬉しいような楽しい出来事に心の曇り空はぽっかり空いたままだった。それはまるでウィスコンシン州の市章そのものだった。昼下がり、チョコレートを買いに娘とともにユタ州へ。ノースカロライナ州で流行りの曲をかけながらジョージア州のことなど脇目も振らずにメイン州に到着。娘が長時間のドライブに体調を崩し、ひとまずカリフォルニアで一休み。ニューヨークで一杯ひっかけてからカナダを通らずにアラスカへ。帰りはカナダから帰りたいという愛娘の要望を甘んじて受け入れロードアイランド州へ。途中、イリノイ州の友達に誘われたのでふらっとカフェ・コロラドへ。久々に会う友人はどこか大人びていて、悲しいような侘しい気持ちになった。アラバマのお母さんの話をしたら、オクラホマ州知事と再婚したというビックニュースが飛び込んできた。また、クラスメイトだったオレゴンネブラスカはCNNの人気番組「ザ・ネバダ」のMCになったらしい。旧友の活躍に乾杯し、目的地をとうに忘れたアリゾナミシシッピガメことアーカンソー・モンタナは首都ワシントンD.C.へ。やはり首都だけあって栄えている。各所でLIVEや舞台が繰り広げられていてそれはまさにフロリダのようだ。人気漫才師、ノースダコタサウスダコタがステージに上がると黄色い歓声が轟き、耳にカンザス。昼飯はアイダホポテトとアイオワバーガーで済ませ、すっかりサウスカロライナに忘れた娘を取りに行く。といってもバージニアママがしっかり面倒を見てくれているから安心だ。息子のウェストバージニアは父親似で、挨拶ができるしっかり者だ。ただ、おはようをおはいおと言ってしまう一点を除けば。今んとこ32。後、18か。飛ばすぞ。インディアナで話題のニュージャージーソフトを食べにニューハンプシャーへ。途中雨が降ってきて気分が滅入ったのでマサチューセッツ経由でハワイへ。常夏を20分感じてからのニューメキシコ。雑になってきたことなど関係ないってねしー。一度実家のルイジアナへ。デラウェアに着替えてTVを付けると連日放送しているワイオミング事件のことばかりで嫌気がさしたので、外出し、来月ホッケーで対戦する敵をケンタッキー片手に視察。敵視察。テキシサツ。テキサツ。テキサス。乱れた髪をいつものサロンド・ペンシルバニアで整えてもらう。勿論、コネチカットに。ここで一句。

バーモント

ミネソタミズーリ

メリーランド

すると娘の文句。

帰ろうよ

あかねいろに染

まる道を

木山裕策は応える。

仕方ない

帰ろうか、否

帰るまい

丁半博打

さぁ伸るか反るか

2020東京オリンピックはすぐそこだ。

願望

鳥になりたい人たちが汗水流して琵琶湖の空を飛ぼうとする姿を見て思う。このようなコンテストを作りたい人たちの血と汗が彼等の生き甲斐としていつまでも残り続ける。そんな全体が好きな私は鳥人間コンテストになりたい。重ね重ね私は、鳥人間コンテストになりたい。

御空区

言っても信じてもらえないから言わないでおいたことがある。言わないでバレたほうが信じてもらえそうだから言わないでおいたことがある。大阪。新生活はここから始まる。仙台での旧生活に名残惜しさを抱きながらも。モノはあまり持ってこなかった。新しいモノを欲した時に手持ちが一杯だと迷ってしまいそうだから。学生時代からの友人に転勤のことを伝えた時、彼はメモを取り出した。どうやら住所を聞いていつか来てやろうという素敵な魂胆だ。大阪には変わった名の住所が多い。新世界とか。我々住民に少しのファンタジックを与えてくれる。名が体を表しているかどうかをさておき。そんな中、自分が住む都市として選んだのも変わった名をしていた。

大阪府大阪市御空区◯-◯◯-◯。不安も高揚も両方感じる。住むまでの約一週間であらゆる想像をしていた。これが楽しい。旅行は旅行前が一番楽しいといったものだが引っ越しにも同様のことがいえる。というより遠くに行くという意味では同じ行為をしているので、同様の感情になるのも普通だと今朝、選挙カーも言ってた。想像は風船のように膨らむが、風船のように破裂することはない。外部からの邪魔が入らなければ。大阪府大阪市御空区。一体・・・

恐らく、その名の通り地上は存在しないだろう。御空に都市が広がっていて、交通網も上下左右自由に張り巡らせている。もちろん、渋滞が起こることはないのだろう。区民は約500人。恐らく、魅力的な人たちばかりだろう。1人に辛いことがあれば、499人で支える。1人に幸せなことがあれば、499人で祝福する。そんな中、風邪で欠席した1人のために499人でお見舞いに行く。37人に感染る。そんな小魚のような区民たち。恐らく、理想的ではない。ただ、他に良いところはある。例えば仕事。働くことの報酬として貰うものはお金ではない。サンタフェだ。お金があれば幸せになれるかもしれないが、そこには幸せになれないものも生まれてしまう危険性を孕んでいる。しかし、幸せの象徴であるサンタフェなら誰もが笑って過ごすことができる。人は100サンタフェで車を買い、1000サンタフェで家を売る。サンタフェは御空区の通貨なのだ。但し、3サンタフェでものは買えない。店員がサンサン言うことになるからだ。サンプラザ中野くんさん現象は御空区では許されない。他の良いところはゴミが溜まらないことだ。御空区は燃えるゴミ、燃えないゴミ、粗大ゴミを分けずとも下界に投げ棄てる事ができる。恐らく、下界の住民は怒り狂っているだろうがそんなことは関係ない。話し合うこともできず、戦い合うこともできない上下の関係に友好や敵対の文字は存在しない。それが御空区民の身勝手な言い分だ。そして、自分はそっち側の人間になることになる。主人公は大抵いいやつなので、自分も区長に抗議してみよう。で、凄い口調で反対されたらどっか遠いとこで修行しよう。主人公だし。色々、戸惑うこともあるだろうが、恐らく最終的にはうまく行くだろう。主人公だし。

一週間後、愛する妻と息子を連れて大阪にやってきた。息子はどうしてもと昨日アウトレットで貰ったヘリウムガスの入った風船を持ってきた。すぐに萎んでしまうことを教えるのはまだ早いと思い、止められずにきてしまった。

まぁいいだろう。自分の理想が崩れるのは自分の発見からが最善だ。

そうして、コンビニとクリーニング屋が1店舗ずつしかない大阪府は御空区にやってきた。

現実という針が落ちた。

人工衛星は衛生的じゃない

試合終盤に投入するジョバンニのオカンに頂いたご飯に合うボランチ

目処が立たない予算にはモザンビーク旅行を捻じ込んだ社長が原因だとボランチ

股間に効く薬を服用した途端に嫌な予感しかしなかったボランチはのちに初犯に。

 

 

昼めしはマクドナルドに立ち寄った。

喫煙席に座る。声が聞こえる。

壁の奥は厨房のようだ。

早く消せ。〜持ってこい。

そんな声が聞こえる。

何を作っているのだろう。

消すメニューなどあったものか。

その後、ある単語が壁越しではなく直接聞こえてきた。

「消火器」

次の瞬間、店員が消火器を急いで運ぶ姿が見えた。

間違いなくトラブルが発生していた。

ただ、この時何を思ったか自分の煙草が原因と勘ぐってしまった。

実際、勘違いだったのだがこの時の自分は放火魔だと自覚していた。

その事実に耐えきれなくなり、その場から逃げ出す。

他の客や店員に見つからないように。

店の外に飛び出した。

燃え盛る火とマック。

追いかけてきた人巻く。

そんな一幕。

或る人「常然」

或る人がいた。名は常然といった。常然と書いて、ツゼンと読む。常然とは急に出逢った。

前日の天気予報通りに晴れから曇りに変わった昼下がり、とある喫茶店に立ち寄った。窓際の席に座り店内を見渡す。落ち着いた雰囲気の良い店じゃないか。連れていた部下に言うが、彼からの返答はなかった。店員が注文を聞いてくる。アイスコーヒーを一つとお前どうする。あ、おれいいっす。水で。じゃあアイスコーヒーだけで。かしこまりました。あ、すいません。やっぱアイコーもう一つ。では、アイスコーヒーをお二つですね。少々お待ちくださいませ。ため息は煙草に逃した。部下はこういうやつだ。名は荒唾といった。荒唾と書いて、アラシダと読む。彼とは長い付き合いだ。

特殊な苗字はイジらないといけない。それは義務だ。言われ慣れてるだろうが、仕方ない。初めて会った時にお前の苗字、仙台のロックフェスみたいな字面だなと半ばメンドくさそうに言った。が、向こうは理解してなかった。キョトン顔の申し子が如くキョトっていた。今まで言われてこなかった訳はない。誰しも思うだろう。

荒唾と荒吐。一緒じゃん。口から出るやつじゃん。一緒じゃんと。でも彼は皆んなと一緒じゃなかった。今まで言われたことは幾度もあるらしい。ただ、理解できず受け流してきたという。更に検索もしなかったと。嫌いだ。俺はこいつが嫌いだ。ファーストコミュニケーションでその答えに辿り着いてしまったのだ。

時は戻る。アイコーも最近覚えたのかなんなのか知らないが古いしダサい。身なりも顔も全てが四流サラリーマンだ。こんな奴を連れている自分が恥ずかしくなる。だが、大事な取引の後で一服せずにはいられなかった。それにしても今回の示談は上手くいった。綿密に打ち合わせをしたことが功を奏し、計画以上の利益を獲得することに成功した。その誇らしさにあぐらをかいてしまい、こんなポンコツと2人でお茶という地獄にハマってしまった。反省してる間にアイスコーヒーが到着した。早くこれを飲んでさっさと職場に戻ろう。そう決心し、2つあったストローをへし折り、グラスを手に持ったその瞬間。テーブルを挟んだ向かいに丁度座った男性と目があった。彼に何か異様な空気を感じた。そして、やはりこれが気紛れではなかったと気づくのはまだ先の話である。彼は俄かに顔を掲げ、フォッフォッフォッフォッフォッフォッーーー!!!!!と奇声をあげた。

先程感じた異様な空気を確信に変えたのはこの時だった。その間、約2秒だった。彼はすぐさま、ファスタムファスタムと小気味良いリズムを刻む。今、思うと狂気しかないが、これを書いてるのは実は喫茶店にいる数分前なので狂気しかない。ただ、こういってしまったからにはこれから数分で仕上げなければならない。俺はブロガーとしての執念で何か展開を探した。荒唾を蹴り飛ばそうと思ったがあいつはさっきトイレに行った。この状況でトイレって。タイミングがダサい。なら、もう1つしかない。

すいません。どうされましたか。ファスタムファスタムファッ?喫茶店の客と店員は好奇な目を其の男から自分に移した。ただ、俺には締め切りが迫っていた。残り2分。ウルトラマンとかカップラーメンだとかの喩えをしている暇はなかった。テレビのインタビューかの如く変人に声をかける。報酬はないが、矜持のために。

落ち着いた雰囲気の良いお店ですね?この状況で考えられないような発言だった。そして案の定、返答はなかった。荒唾と同じく。ならばとお名前なんておっしゃるんですか?と聞くとそれまで黙っていた彼が口を開くと「常然」と。

イジれない。珍しいのにイジれない。迫るカウントダウンに立ち尽くす。こんなはずじゃなかったのに。トイレから勢いよく出てきた荒唾が締切3秒前で喋り始める。

先輩何やっ

ダバダバ生きていく

新聞をとらなくなってから一年が経った。

昨今、囁かれている活字離れの象徴でもある新聞をとらなくなる現象。原因は簡単だ。今や無数あるネットニュースに新聞以上の詳細記事が書かれている。お金を払えばオンラインといってはもっと細かく。一年前、それが最後の配達だっただろうか。辞めないでくれと拒んでビールやら洗剤やらを代償にしてきたことがあった。

結果的にその代償をもらうだけになったミスセールスも彼の胸中を思えば酷いことをしたのかもしれない。ただ、必要のないものは必要がない。そして必要のあるものを出されたら必要があるからもらう。理屈は間違っていない。でも一年経った今も彼の表情や仕草を忘れられないのは何故だろう。もらったものは使い切ったし、ネットニュースにも慣れた。新聞を取ってた時よりも時事に詳しいとすら感じるほどに。

では何故。それは新聞のにおいにあった。あの独特なにおいは一年で一度も嗅ぐ機会がなかったのに憶えている。スマホ、パソコンからにおいはしない。味もしない。ただ、新聞にはにおいがある。食べたことはないけど味もある。そして、何よりそっちの方が味である。この味は人間味という味だ。だからといって新聞に戻そうなんて思わない。不便だし。ゴミになるし。ロボットに侵食される時代がそう遠くはない現代にひっそりと姿を現したネットニュースの脅威に新聞、いや人間はなすすべなく衰退を余儀なくされたのだ。このようなことがこれからどんどんと生まれてくる。運転をしなくなる時代も来る。そして、星新一が描いたような世界が実在するようになっても我々は生きていくしかない。打開策も見つけられずにダバダバと。

そう。ダバダバと。